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2005年5月 9日 (月)

市民が参加する球団の形態

大阪市民球団の理念は「市民が参加する球団」でしょうか?ちょっとまだ、わかりにくいかもしれません。また実際、「参加って何をするねん?面倒なことなしに、ただ観たいだけや。」っていう人が多いのかもしれません。さらには、「参加するって要するに金を出せってことかいな?それなら嫌やで~」という見方もされるでしょう。「参加」する喜びっていうのは、強制された参加から生まれることは少なく、自発的な参加によってこそ生まれるモノです。自発的な参加には何かしらの動機やキッカケがあって、そこに個人の意思が働くということですね。しかし、多くの人が同じ動機やキッカケで参加するというのは考えにくいです。近鉄ファンだったけど、応援する球団を失ったから大阪市民球団に参加したい、という動機やキッカケの人だけでは全然足りません。ですから「参加」の形態をたくさん用意しなければいけません。また観客動員の施策も多様性を持たせないといけません。

ここで難しいのは、ライトな野球ファンのために、球場にアイドル歌手を呼ぶという方法をとったとき、ディープな野球ファンが逆にそういうのを嫌う場合があるということです。何でもかんでもボランティアを導入していったら、ありがた迷惑なことが増えてしまったということでもいけません。
重要なのは、部分を最適化することが全体の最適化につながらないということです。市民やファンというのはたくさんいて、それぞれ、考え方やニーズが異なるわけです。で、個々のターゲットに対してよかれと思ってやったことが、全体で見たらマイナスになったということにならないよう、気をつけないといけないということです。

例えば。。。統合球団の愛称をバファローズにして、ユニフォームはブルーウェーブのデザインにする。個々の施策はバファローズファンとブルーウェーブファンのためにと思ってやったのでしょうけど、組み合わせてみるといかにもミスマッチで両方のファンを失う。。。で、要するにどうすればエエの?ということですが、部分と全体を絶えず照らし合わせるということが必要です。で、最終的には全体を最適化する。それは非常に難しくてセンスが求められる作業になります。

昨年の一連のオーナー会議での議論を見ていると、部分の最適化(自球団の利益)しか求めていないオーナーが多く、結果として全体が最適化されていないと強く感じます。で、本来はNPBやコミッショナーが全体の最適化を図る役割を果たすべきなんでしょうけど機能不全。。。結局、最後はここにゆきついてしまいます。

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