2005年6月26日 (日)

市民球団って何?

考えても考えても、「これや」っていう答えがでてきません。
「市民参加」「地域密着」などの言葉をつなぎ合わせれば、「市民球団」らしいものは表現できます。で、それは何?と突っ込まれるとうまく説明できません。やはり、誤解は承知の上で、具体的な定義をしてみないことには始まらないような気がします。

まず「市民」。広辞苑によると
1.市の住民。都市の住民。
2.国政に参与する地位にある国民。公民。広く、公共性の形成に自律的、自発的に参加する人々。
3.ブルジョアの訳語。(こんなんあり?)
1の「市の住民」は「大阪市に住民票をおいている人」というイメージですが、大阪市民球団の「市民」は1ではなく、2の後半の「広く、公共性の形成に自律的、自発的に参加する人々」の部分でしょう。ここをもう少し掘り下げてみます。再び広辞苑に頼ると(^^;
・公共性:広く社会一般に利害や正義を有する性質
これまたややこしい。。。「利害」って何?「正義」って何?
・利害:利益と損害
・正義:正しいみちすじ。justice!社会全体の幸福を保証する秩序を実現し維持すること。
ん~なんで「利益」だけじゃなくて「利害」なんでしょう?ちなみに「公共心」を調べてみると、
・公共心:公共の利益を図る心。公共に尽くす精神。
これはわかりやすい(^^)。ついでに「公共財」は?
・公共財:その便益を多くの個人が同時に享受でき、しかも対価の支払者だけに限定できないような財やサービス。公園・消防・警察など。
さすがに、大阪ドームが公共財とは書いていません(^^;
とりあえず先に進むと。。。
・自律:自分で自分の行為を規制すること。外部からの制御から脱して自身の立てた規範に従って行動すること。
・自発:自ら進んで行うこと。
「自律的」の方は、してはいけないことをぐっとこらえて行動するというイメージ、「自発的」の方は、自らの意思で積極的に活動(いきいきと行動すること)するというイメージが感じられます。
それでは、これらをつなぎ合わせてみます。
「市民」とは、「広く社会一般で、お互いに利害関係を持ちながらもみんなが幸福になれるよう、我慢すべきところは我慢しつつ、自ら進んで活動しようとする人々」である(by広辞苑)。
それでは「市民参加」は?というと、「市民」の意味の中に「参加」が入っているので、ほとんど同じ意味合いになりそうです。

この辺で、プロ野球球団としての「大阪市民球団」の「市民」にブレークダウンしてみます。まず「みんなが幸福」っていうのはどういう状態でしょうか?例えば、球団が勝ち続ける状況は、「その球団を応援している人々」にとっては幸福ですが、リーグ戦であることを考えると、その分、負けている球団があるわけですから、広く社会一般が幸福とはいえません。この辺が、「利害関係」とか「我慢すべき」に絡んできそうです。「勝つ喜び」を分かち合える状況。これが「みんなが順番に幸福になれる」一つの状況かと思います。しかし、それだけではモノ足りません。
「利害」「みんな」「我慢」という言葉から想像できるのは、「個人」ではなく「集団」、それも単なる集まりではなく、「みんなが幸福になれる」という目的意識を持った「コミュニティ(共同体)」。そのコミュニティの活動として考えられるのは、「スポーツ(特に野球)をやる・みる・考える活動」。で、こういったコミュニティの形成を演出するのは球団そのものよりNPO法人が適しているでしょう。そして「自発的な参加」の具体的な行動の第一歩はNPO法人の会員になること。もちろん、この役割を担うNPO法人は球団によってつくられたものでは不十分です。その点、大阪市民球団は、NPO法人が起点となって球団を創っていこうとしているのですから、市民球団の理想型と言えるのではないでしょうか。

以上より。。。「市民球団」の一つの定義
「スポーツ(特に野球)をやる・みる・考える活動を行うNPO法人の会員により形成されたコミュニティに支えられた球団」

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2005年5月31日 (火)

大阪市民球団への市民参加と地域密着

大阪市民球団に参加する市民は行政地域で区分された「大阪市民」というわけではなく、球団を応援したり、球団と何らかの関わりをもつ人を指しますね。その関わりについても、企業とか自治体の担当者としてではなく、一ファンとして応援する、ボランティアとして活動に参加する、球団の催す行事に参加するといった関わりがイメージされます。堅苦しく言うと、何かしらの目的(応援、ボランティア活動、球団行事)を共有するグループの集合体といったところでしょうか。

一方で、地域密着というと、地理的な境界で区切られた内側の人たちとの密接な関係というのがイメージされます。具体的な姿として、ホーム球場の周辺の街並みや商店街がチームカラーやチームロゴであふれかえっているといった情景が想像できます。

市民参加は目的の共有、地域密着は地理的なつながり。ここに両者の微妙な違いがあるのかなと思います。この違いを球団との関わりという点で考えてみます。

大阪市民球団のスキームの提案の分類でみると。。。

 積極的な市民参加:オーナーズ・クラブ
 一般的な市民参加:個人サポーター
 地域密着の演出者:ホームタウンサポーター

オーナーズ・クラブに対しては、経済的に見合う特典を用意していません。市民の立場で、ある程度の出資をして、経営に関与してもらうという位置づけです。個人サポーターには出費に見合う特典を用意し、ライトな感覚で大阪市民球団を応援してもらいます。ホームタウンサポーターは、地理的な境界をもうけて、その内側の飲食店や商店に優遇的な特典を与え、地域密着の場を形成してもらいます。ホームタウンサポーターには、とりあえず年会費10万円でロゴの使用とチケット5枚としましたが、これで客引きをして、儲けてくださいねという意味合いです。チケットもタダで配ればバラマキにしかなりませんが、買わせるということで、配布する際にも何か工夫してくれるでしょうという期待を込めています。問題は零細な飲食店や商店にとって年会費10万円が重い負担かどうかです。経費扱いにして節税してもらうというのは可能なんでしょうか?

市民参加については、もうちょっと具体像を考えてみる必要がありそうです。
地域密着については、まずは、場をつくることが先決。で、次の段階として球団と地域との連携、そして地域(主役はホームタウンサポーターの飲食店や商店)と市民(大阪市民球団と関わりを持つ市民)との交わりを考えていくことになると思います。

で、出発点では市民と地域は別の概念でしたが、最終的には融合させていくことがねらいです。
ん~まだ抽象的な言い回しですね(^^;

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2005年5月 9日 (月)

市民が参加する球団の形態

大阪市民球団の理念は「市民が参加する球団」でしょうか?ちょっとまだ、わかりにくいかもしれません。また実際、「参加って何をするねん?面倒なことなしに、ただ観たいだけや。」っていう人が多いのかもしれません。さらには、「参加するって要するに金を出せってことかいな?それなら嫌やで~」という見方もされるでしょう。「参加」する喜びっていうのは、強制された参加から生まれることは少なく、自発的な参加によってこそ生まれるモノです。自発的な参加には何かしらの動機やキッカケがあって、そこに個人の意思が働くということですね。しかし、多くの人が同じ動機やキッカケで参加するというのは考えにくいです。近鉄ファンだったけど、応援する球団を失ったから大阪市民球団に参加したい、という動機やキッカケの人だけでは全然足りません。ですから「参加」の形態をたくさん用意しなければいけません。また観客動員の施策も多様性を持たせないといけません。

ここで難しいのは、ライトな野球ファンのために、球場にアイドル歌手を呼ぶという方法をとったとき、ディープな野球ファンが逆にそういうのを嫌う場合があるということです。何でもかんでもボランティアを導入していったら、ありがた迷惑なことが増えてしまったということでもいけません。
重要なのは、部分を最適化することが全体の最適化につながらないということです。市民やファンというのはたくさんいて、それぞれ、考え方やニーズが異なるわけです。で、個々のターゲットに対してよかれと思ってやったことが、全体で見たらマイナスになったということにならないよう、気をつけないといけないということです。

例えば。。。統合球団の愛称をバファローズにして、ユニフォームはブルーウェーブのデザインにする。個々の施策はバファローズファンとブルーウェーブファンのためにと思ってやったのでしょうけど、組み合わせてみるといかにもミスマッチで両方のファンを失う。。。で、要するにどうすればエエの?ということですが、部分と全体を絶えず照らし合わせるということが必要です。で、最終的には全体を最適化する。それは非常に難しくてセンスが求められる作業になります。

昨年の一連のオーナー会議での議論を見ていると、部分の最適化(自球団の利益)しか求めていないオーナーが多く、結果として全体が最適化されていないと強く感じます。で、本来はNPBやコミッショナーが全体の最適化を図る役割を果たすべきなんでしょうけど機能不全。。。結局、最後はここにゆきついてしまいます。

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ポケットミュージアム構想

野球協約 第3条(協約の目的)
(1)わが国の野球を不朽の国技にし、野球が社会の公共的文化財となるよう努めることによって、野球の権威および技術に対する国民の信頼を確保する。

要するに、野球そのものが国技で文化なんです。
それを受けつつ大阪市民球団への市民の参加を促す一つの方法として、大阪ドームの中にポケットミュージアムをつくり。。。というか、そういうスペースを用意し、試合ごとに特定の相手(小学校とか、趣味のサークルとか)に貸し出すというのはどうでしょうか。

もちろん、単に展示をするというだけではありません。作品を展示したグループを大阪ドームへ招待し、大阪市民球団の試合の中で作品を紹介し、優秀賞は表彰するといったことがあってもいいと思います。

プロ野球と市民レベルの芸術作品(絵画、書道、写真など)の文化的な交流も市民球団への市民参加の一形態と言えるのではないでしょうか。

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2005年5月 6日 (金)

大阪市民球団によるPTSDの克服

最近は物騒な事件や事故、災害が多く、PTSD(Post Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)のような症状がでてしまう方も多いようです。もちろん、このような場合は、専門の医師やカウンセラーに見てもらうのが一番です。

気になるのは、このような事件や事故、災害が関西に集中していること。
そこで、「市民参加のスタイル」では、大阪市民球団への市民参加を通じて、治療やリハビリのプログラムに取り入れてもらうといった方法を考えてみました。

改めて、この話題を挙げたのは、私を含め、多くの近鉄ファンがPTSD(とは限りませんが。。。)のような症状にかかっているのではないか?と感じたためです。もちろん、実際のPTSDは生死にかかわるような深刻な体験を通じて発症するものですから、大げさなのかもしれません。しかし、球団統合によって応援していたチームを失い、統合球団へも新規参入球団へも応援の対象を移行できず、長期間にわたって、特に野球やスポーツの話題に対し無気力、無関心が続いている。。。とか、大阪ドーム、オリックスといった場所や言葉に嫌悪感を感じるという人は、程度の差こそあれ、明らかに心が病んでいると言えるのではないでしょうか。

野球を捨てて、何か他のモノに打ち込めればまだよいですが、野球が好きで近鉄が好きで...という人ほど喪失感が大きいでしょう。

失ったモノは帰りません。でも新たに何かを作り出すことは不可能ではありません。
大阪市民球団で失った何かを取り戻しましょう~

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2005年5月 2日 (月)

もう一つの市民球団への参加のスタイル

前に市民球団への参加のスタイルを考えてみましたが、この時に挙げた「球団傘下の底辺のチームでプレー」「球団の運営に参加」「市民活動の一環として参加」はいずれも自発的な行動によって能動的に参加するというスタイルです。

これとは別に市民を受け入れるという受動的な立場での市民参加も考える必要があるでしょう。具体的に言えば、大阪市民球団のホームタウンであるミナミを含む広域エリア(と勝手に決めつけてますが^^;)で市民球団のファンに対する受け入れ態勢を整備してもらうということです。これは自発的にやってもらうのが一番なんですが、ある程度、組織的、計画的に取り組んでもらう方がより効果的です。

まずは選手のスポンサーとなるサポート企業と個人出資者という2種類しかなかった出資者の区別を見直し、市民を受け入れるホームタウンの商店街や飲食街という第3の区分をつくってはどうでしょうか。多少の出資をしてもらいつつ、市民球団のロゴやキャラクターグッズを利用してお客さんを集めて儲けてもらいましょう。

さらに、このホームタウンを大阪市民球団の情報発信の拠点と位置づけるのがよいと思います。大阪市民球団に関する情報とか選手の生の声とか、ある程度はネットで流しつつ、「より詳しい情報はミナミの○○商店や△△居酒屋に行くとわかります」といった形で、日替わりで特選情報を掲示しているお店を変えてやれば、ファンは気になってついつい訪ねに行ってしまうのでは。。。

また、能動的な市民参加のグループ(主として目的を共有した集まり)と受動的な市民参加のグループ(主として地域的なつながり)が境界を設けず、うまく融合していくことも必要でしょう。

さらに行政と連携して市民球団を核とした市民参加型のスポーツ振興街つくりといった色合いの地域振興策を用意してもらうのがよいでしょう。

こういった様々な取り組みを組織的、計画的に行うというところが求められると思います。

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2005年5月 1日 (日)

選手の査定への市民参加

大阪市民球団の選手は、応援し、支えてくれる市民のために野球をすることになります。プロ野球選手の査定は難しいとは思いますが、市民の目から見た貢献度も査定の一部として取り入れて欲しいと思います。例えば、試合後に、ファンの目から見た活躍度とファンサービス度について採点してもらうというのはどうでしょうか。一般の採点は、誰でも参加できるもので、活躍度、ファンサービス度の上位3名に順位をつけたものを提出してもらい、ある程度、採点の経験を積めば、出場全選手の点数を記入できる形式の特別審査員に昇格できるとか。。。野球通の楽しみの一つは、その日の試合を振りかえってああだ、こうだと批評することですから、こういう企画があってもいいと思います。
もちろん、採点シートには毎回、簡単なアンケートもつけて、顧客のニーズを確認するという作業もあわせて行うようにします。

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2005年4月19日 (火)

市民参加のスタイル

市民が参加する市民球団。聞こえはいいんですが、なかなか具体的なスタイルが思い浮かんできません。

プロ野球と市民との関係は、特定の贔屓(ひいき)チームをファンとして応援するというスタイルが一般的です。この場合、ファンは球場へ行ったり、TV、ラジオ、インターネットなどで試合の経過や結果を見たり、関連グッズを購入したり。。。というスタイルでプロ野球との関わりを持ちます。

しかし、これだけでは市民が参加しているというイメージにはなりません。市民参加のスタイルにはどういったものが考えられるでしょうか?

1.球団傘下の底辺のチームでプレー
市民参加のスタイルとして、なんとなく思い浮かぶのは、ピラミッド型の階層をもつ球団の底辺のチームに気軽に参加して、観戦するだけでなく自らもプレーをして楽しむという方法です。将来のプロを目指すリトルリーグから、全くの草野球チーム、高齢者のチーム、女子のチーム、町内会のチーム、ソフトボールを楽しむチームなど、バラエティに富んだチームを市民球団の傘下に置くというのもよいかもしれません。こういったチームは既に多数存在するんでしょうけど、トップにプロ野球の球団を抱えているという点で参加者の意識が大いに高まるのではないかと考えられます。

2.球団の運営に参加
市民参加という言葉から、市民が球団の運営に参加するというスタイルが連想されます。運営というカテゴリーに参加するということで、自分たちのチームであるということを強く認識できると思います。しかし、経営というのはそう簡単なものではありません。あくまでプロとして経営を行う球団と、ボランティアやNPOといった市民グループとの棲み分けをどう行っていくかが鍵になると思います。

3.市民活動の一環として参加
世の中、野球が一番、という人だけではありません。そういった人たちを市民球団へ誘い込むには、何らかの活動を通して参加させるという方法が考えられます。例えば、街の美化に関心のあるボランティアグループを試合の観戦に招待し、球場の周りや試合後の球場内のゴミ掃除の実施や呼びかけを行ってもらうとか、心の病を治そうという目的で設立されたNPOに、市民球団の試合の観戦や応援、運営のお手伝いといった活動を、治療やリハビリのプログラムに取り入れてもらうといった方法です。

いずれの場合も、市民参加を通して、単に野球を観戦するといった受け身の姿勢ではなく、自らの意志で自発的な行動を行うというところに市民が参加する楽しみや意義を見いだしていければよいのではないかと思います。

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